「霊鷲山選擇寺」の霊鷲山(りょうじゅせん)とは
インドのビハールという地方の、標高5百メートル程の小高い山です。
( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E9%B7%B2%E5%B1%B1 )
約二千五百年前、お釈迦様が説法をされていたとされる伝説の山でした。
インド仏教が、他教徒からの武力侵攻によって滅亡してしまった、西暦
1203年から丁度7百年後である明治36年(西暦1903年)、日本の浄土真宗
本願寺派の派遣した「大谷探検隊」の調査によって特定され、世界に発表。
数年後に、インド政府が「大谷探検隊」の調査結果を追認した事によって、
「伝説の謎の山としての7百年の歴史の闇」に終止符が打たれました。
つまり、日本の仏教界と大変縁の深い山である訳です。
当時7歳だった髙名宗徳少年(後の選擇時開基髙名興仁上人)は、青森の
お寺の子供だったのですが、世界を驚かせる大発見をした日本人の活躍に、
大きく胸を躍らせていたのではないかと思われます。
それは、その歴史的大発見から49年後、髙名先生が当選擇寺を開山される
際に、霊鷲山の名を山号に選ばれた点に加え、先生御自身が生前に建立され
た「開基堂」の脇に、霊鷲山の山頂部に有る、特徴的な岩と酷似した、大掛
かりな岩のオブジェを残された事からも、容易に想像出来ます。
(選擇寺開基堂横の岩)
(釈迦説法の地、霊鷲山の山頂の風景)